艦これSS「約束」
初夏のある日。その日は蒸し暑く、朝から嫌な感じが付き纏っていた。
昼頃、執務室に着信音が鳴り響く。提督は一瞬、躊躇しながらも受話器を手に取った。
南方海域へ出撃中だった飛龍機動部隊からの報告だった。
飛龍の報告を受けながら、提督はうん、うんと二、三度頷き、最後に分かったと答えて受話器を置いた。
傍らでは秘書艦の扶桑がじっと提督を見つめている。しばしの沈黙を破り、提督は口を開いた。
「夕張が、撃沈された」
その事実を提督は堅い口調で告げた。
「扶桑」
「はい」
「少し、一人にしてもらっていいか?」
「分かりました。皆にこの事を伝えてきますね」
「頼む」
扶桑が部屋を去っても、提督は執務室の椅子に座ったまま、動かなかった。
扶桑が出ていった扉をぼんやりと見つめている。
「参ったな」
ぽつりと呟くように漏らす。
「これからは艤装の開発、明石にやって貰わないといけないな。
それに主力艦隊の軽巡が神通だけになってしまったじゃないか。
誰か護衛艦隊から引き抜くしかないか。それとも、本営から寄越して貰うか」
ぶつぶつと呟き続けていたが、不意に言葉に詰まり、机に拳を叩きつけた。
「馬鹿野郎。何言ってんだ、俺」
机に突っ伏しながら、小さく呻く。
"提督"
自分を呼ぶ夕張の声が脳裏に浮かぶ。
"提督、この装備、早く試してみましょう?"
新しい艤装が配備されると、そう言って、夕張は好奇心一杯に目を輝かせていた。
艤装について楽しそうに語っていた姿を思い返す度、胸が締め付けられるように苦しい。
「すまん」
今はもう居なくなってしまった部下に詫びの言葉を告げる。他にどんな言葉も思いつかなかった。
*
どこかで悲劇が起きても日常は変わらない。時計の針は戻ることなく、淡々と時を刻み続けていく。
皆、心の中に哀しみを秘めたまま、仕事という名の日々の営みをただこなし続けていく。
「明石」
廊下で提督は"工作艦"明石の姿を認め、声を掛けた。
明石は窓の外をじっと見つめていたが、提督の言葉にぼんやりと視線を向けた。
普段の彼女とは別人と思える程、明石は精彩さを欠いていた。
仕方がないことかもしれない。明石は夕張と同室で暮らしており、仲の良い親友だったのだ。
「すみません、今日は仕事を休ませてもらいました」
「そうか」
「分かってるんです、本当はこんなんじゃ駄目だって。
でも今日は艤装をあまり触りたくないというか、なんか思い出しちゃって」
何を思い出すのか明石は言わない。夕張のことだろう、と提督は思った。
時折口ごもりながら、明石は嗚咽交じりに自分の思いを語る。提督は黙ってそれを聞いていた。
「あの、提督」
「うん」
「私みたいに前線に出ない奴に何か言う資格はないのかもしれません。でも、一つだけ言わせてください」
「いいよ」
「もうこれ以上、誰も死なせないでください。仲間が居なくなるのはとても辛いです」
明石は紅潮した頬を震わせ、目に涙を浮かべながらも、強い視線でじっと提督を見つめていた。
提督は眼を逸らし、足元を見つめた。
不意に夕張の笑顔が浮かんで消えた。その笑顔を見ることはもう二度とない。
「我々は戦わなくてはならない。戦いを続ける以上、犠牲は付き纏う。誰一人死なせないと俺の口からは言えない」
言いながら、提督は明石の眼を正面から見つめ返した。
「だが、俺のミスでこれ以上、不要な犠牲をお前達に出させはしない。
それだけは今この場でお前に約束できる。絶対に、必ずだ」
その言葉に明石が納得したかは分からない。
黙ったまま、明石は頭を下げ、部屋へと戻っていった。
*
提督が執務室に戻った時、扶桑は何も言わず淹れ立ての茶を出してくれた。
温かい茶を啜りながら、提督の目元にはじわっと涙が浮かんだ。それはさっと拭った。
自分は天才でも秀才でもない。ただの凡人だ。奇跡なんて起こせないし、大それたことは何一つできない。
それでもミスをしない、過ちを繰り返さないことぐらいは出来る筈だ。
明石とかわした約束。それだけは決して破らない。
それが提督として自分にできる唯一の手向けなのだから。
そうだろう、夕張。